ことばにまつわるエトセトラ バックナンバー第2集
(第6回〜第10回)
昨12月1日、今年の「日本新語・流行語大賞」(自由国民社主催)が発表になった。
今年も暮れに近づいたか、という感慨を持つとともに、選ばれた世相語を眺めながらこの
1年をふりかえるいい機会を与えてくれる。
大賞として選ばれた3語、および大賞以外の上位10位は次のとおりである。
- 第1位 だっちゅーの
- 第2位 凡人・軍人・変人
- 第3位 ハマの大魔神(以上大賞語)
- 第4位 環境ホルモン
- 第5位 貸し渋り
- 第6位 老人力
- 第7位 モラル・ハザード
- 第8位 冷めたピザ
- 第9位 日本列島総不況
- 第10位 ショムニ
世の不況を反映するように、暗い印象の語がならぶ。明るさを感じる語は、「ハマの大魔
神」くらいだろうか。第1位はやはり「だっちゅーの」だったか、と意外性を感じない結
果となった。この「だっちゅーの」は、第1位にしてはあまりにも深みのないことばであ
ると思う。それに、数年前のダチョウ倶楽部の「聞いてないよー」の様には実際に使われ
ることもそんなになかったようだ。
第4位の「環境ホルモン」、第10位の「ショムニ」などは、大賞語となる要素は十分
にあったと思う。「環境ホルモン」は話題になったのが年の前半であったためにインパク
トが弱かった所為か。「ショムニ」は原作の漫画が連載されたのが3年前から、春にドラ
マ化されて一躍脚光を浴びた。ドラマの視聴率がどれくらいだったかわからないが、広く
世の女性の共感をえるにはもうひと頑張りだったようだ。
年のはじめ頃の話題だったために「忘れられてしまった」流行語がある。2月に行われ
た長野オリンピックから「多英、やったね!すげ〜!」「原田、別の世界へ跳んで行って
しまった!」、中学生の教師刺傷事件から「バタフライナイフ」「キレる」松田聖子の結
婚記者会見から「ビビビッときた」、大ヒットした「タイタニック」などは時期に恵まれ
なかったという印象をもつ。長野オリンピックなど、日本で3回目のオリンピックという
ことで、日本中が注目していたはずなのに、すでに記憶の彼方、といった感じである。6
月のサッカーw杯初出場は、結果の悲惨さ(3連敗)に加えて印象的なことばがなかった-
。7月の和歌山毒物混入事件は「亜ヒ酸」という毒物の名を十分に流行らせたと思うのだ
が、この流行語大賞は、流行らせた、あるいは引き金となった人や団体を表彰するという
趣旨であるので、このような事件に関しては対象外とせざるをえないのだろう。少し前に
「オウム真理教」や「第7サティアン」がその一連の事件のインパクトに反して対象外と
なったということがある。
しかしこうして考えてみると、流行した言葉は、大賞を受けなかったものも含めて、わ
ずか1年で実に多く生まれるものだと思わされる。来年はどんな流行語がはやるのだろう
か?(1998/12/2)
今年の前半で世をにぎわした事といえば、やはり数々の、中学生の教師刺傷事件である
。もう10数年昔のことになるが、かつて、「校内暴力」ということばとともに一つの社
会現象が生まれたが、その当時は腕力や体力に身を任せた若者の反抗だった。ところが、
テレビゲームの普及とともに、体力の衰えた現在の中高生たちは、「ナイフ」などという
凶器を持ち出さざるをえなくなったのだろう。
この時の一連の事件で有名になったことばは、凶器として使われた「バタフライナイフ
」とともに、「キレる」という心理現象であった。中高生たちは、ふだんから周囲の人や
状況に「ムカつく」ことが多くあり、何かのはずみで「キレる」のである。「ムカつく」
に関しては、「チョームカつく」やその省略形の「チョムカ」といった言い回しもあり、
また「キレる」に関しては、「MK5(エムケーファイブ、マジでキレる5秒前)」や、「-
逆ギレ(逆上されておとなしくしていた方が急に逆に逆上すること)」といった派生もし
ている。ちなみに、「ムカつく」も「キレる」も、このように、カタカナとひらがなを混
ぜて表記するのが普通である。
さて、「ムカつく」「キレる」ともに、年配の年齢層にはいささかなじみの薄い語彙で
あろう。先月発売になった広辞苑第5版(岩波書店)では、「むかつく」2. 癪にさわっ-
て腹がたつ、「切れる」11. 我慢が限界に達し、理性的な表現ができなくなる、という意
味が堂々と載っているが、さすがにカタカナとひらがなの混用の例は載っていない。しか
も、ここでの意味は随分と後ろにしか載っていないのである(「むかつく」は2つ中の2
番目、「切れる」は13個中の12番目)。ということで、英語へ翻訳するとすれば一体どう
なるのかと考えをめぐらすと、多少意味が明確になるかと思った筆者は、その道のプロで
ある英語教師や、ネイティブスピーカーの知人の何人かに問い合わせてみた。
「ムカつく」について。筆者は'get uncomfortable' もしくは 'feel uncomfortable'
ではないかと思う。ただし、これでは「不快に思う」ということであって、「怒り」のニ
ュアンスが弱いような気もする。T氏(山梨県在住日本人)によると 'be irritated' じ-
ゃないかということであった。I氏(埼玉県在住日本人)は、'be mad' 'upset' という感
覚であると答えてくれた。B氏(米国カリフォルニア州在住アメリカ人)によると、たと-
えば 'upset' だと直訳のようでおもしろみがないということである。ということで、「-
ムカつく」については、まだ英訳ができないでいる。
「キレる」について。筆者は 'go mad' だと直観的に思った。ただ、ちょっと意味が強
すぎはしないかというきらいがある。上記I氏は、動作動詞が来て 'go mad'、あるいは '
go wild'「野獣と化す」みたいな感じだと回答してくれた。D氏(米国カリフォルニア州-
在住アメリカ人)は、日本でAETも経験した、日本の事情通であったが、'snap' 'lose it
' 'flip out' のいずれかだろうと言ってくれた。順に、「ぼきっと折れる」「(われを-
)失う」「はじきとばされる」という直訳となる。「キレる」は、胴体から頭にいく神経
、血管などが「プチッ」という音とともに切れて秩序を失う感じというイメージを持つの
だが、それから考えるに、'snap' が適当であろう。上記B氏もそう言ってくれた。そうい
うわけで、「キレる」の訳語は 'snap' でいいのではないかと思う。
「怒り」の表現として、体の部位を用いたものでは、「腹が立つ」「腹に据えかねる」
「ムカつく」「頭にくる」というふうに、上に行くにしたがって怒りの程度が増すように
思われる。「ムカつく」は、胸の状態をいっているので、その中間段階にあたっている。
「腹」よりは程度は上だが、「頭」まではいっていないからまだ我慢できるところなので
あろう。ところが、その状態が長く続くとついには「キレ」てしまうのではないだろうか
?つまり、腹→胸→頭という順で感情が高まっていく。「キレる」のは、この秩序が乱さ
れた結果なのである。と考えを巡らすと、「キレる」という行動は実に恐ろしいという気
がしてならない。(1998/12/4)
先月25日、今年の大晦日に行われる第49回紅白歌合戦の出場歌手が発表になった。とこ
ろで、グループ名を中心にカタカナ語、またアルファベット表記のものが数多く目につく
昨今である。
テレビで『あすを読む』「カタカナことばの現在」(NHK98/12/1放送) を見た。この番-
組の冒頭で、やはりこの紅白の出場歌手名を引き合いに出し、カタカナことばの蔓延の現
状が紹介された。さらに、FM東京が中学生〜30代およそ1000人余りを対象に行った、好
きな歌手・アーティストの調査結果として、ベストテンに、97年は3人漢字名(安室奈
美恵、華原朋美、松田聖子)、98年はサザンオールスターズだけカタカナ、後はアルフ
ァベット表記だったとして、ことの重大さを挙げた。この番組の主題は、このようなカタ
カナことばの氾濫のなかで、これらをもう一度よく反芻してみて時代の転機に再考してみ
よう、ということだと思ったが、この、いわゆる「カタカナことば(語)」、十把一から
げにできない多様性を含みつつあると思う。
いわゆる「カタカナ語」と言われるものは、多く英語からの借用語である。その他にも
、例えば美術や料理の用語はフランス語から(例:アトリエ、ブティック、デッサン、グ
ルメ、)、音楽の用語はイタリア語から(例:アンダンテ、フェルマータ、ピアノ)、登
山関係の用語はドイツ語から(例:ヒュッテ、ザイル)、などと言われるが、これらも(
すべてがそうとは言いきれないが)所詮は英語経由で日本語に入ってきたにすぎない。
かつて、グループを結成したミュージシャンたちは好んでカタカナを使用した。例えば
、ブルーコメッツ、タイガース、ダークダックス、ピンクレディー、キャンディーズなど
、枚挙にいとまがない。この頃までは、カタカナの名称=英語で、大体間にあっていた。
ここで、98年の紅白出場歌手を振り返ってみると、たとえば、L'arc〜en〜cielはフラ-
ンス語で「空に架けるアーチ(弓)=虹」である。Kiroroは、アイヌ語起源だそうだ。今
年は紅白には選ばれなかったが、Le couple (ル・クプル)もフランス語である。SHAZNA
は、構成員が勝手にアルファベットを並べ替えて作ったと聞いている。桂銀淑(ケイ・ウ
ンスク)は、韓国人であるが、場合により漢字とならんで、カタカナ表記になったりする
。名前とは関係ないが、ブラックビスケッツのビビアン・スーは台湾人である。というこ
とで、従来の「カタカナ語」から一歩脱皮して、随分とインターナショナルになったもの
だと感じずにはいられない。
ところで、カタカナ・アルファベットでありながら、西洋文化とは関係ないようなもの
も多く存在するのも事実である。TOKIOは明かに「東京」をイメージしている。また、上-
の『あすを読む』「カタカナことばの現在」において、「和田アキ子」をカタカナ語とし
てカウントしなかったのはなぜか、逆に問うてみたい。芸名としてカタカナで表記する、
タケカワユキヒデさんはどうか?そしてタケカワユキヒデさんの結成したバンドは「ゴダ
イゴ(≒後醍醐?)」だったではないか。KINKI KIDS にしたって、前半部分は「近畿」の-
はずだ。こういう名前を一緒に「カタカナ語/アルファベット語」としてしまっていいの
だろうか?
逆の例もある。例えば、「とんねるず(≒tunnels?)」はひらがな、「虎舞竜(≒trouble
?)」は漢語であるが、これらがカタカナ語、あるいはアルファベットのものとどれほど違
うというのか?
これらの話題以外に、気になること。「モーニング娘。」は、「。」が付いていること
が非常に斬新的である。いままでこのような効果をねらったネーミングがはたしてあった
のか。句読点ではおそらくこれが初めてであろう。その他の記号を 用いたものとして
は、「つのだ☆ひろ」の「☆」を特筆すべきであろう。歌詞では、MY LITTLE LOVER の「
Alice」の歌詞のなかで "*+┃☆━△×□" と書かれている部分があるが、曲を聞くと-
「レゲレゲラ、レゲレゲラ」と言っているように聞こえる。これは、ボーカルのAKKOさん
によれば、パソコンを log in したときの機械の音だそうだ。いずれにしろ、こういった
言語伝達文字以外であっても、どんどん受け入れるようになってきてはいる。
こうして考えてみると「カタカナ」は、やはり、日本語の一部なのである。例えて言え
ば、「マクドナルド」と「MacDonald's」は(音的に)全く違うものと考えてよく、我々-
日本人は、カタカナ語の「マクドナルド」を受け入れながら「MacDonald's」の本当の発-
音を知らないのが現状である。また、"SPEED" と表記しても、所詮は[spi:d] じゃなくて
、[supi:do] というふうに、アルファベット表記とは言っても、まだまだ発音のほうはと
もなっていない。
このように、「カタカナことば」「アルファベット表記」は、依然、日本語の一部なの
である。(1998/12/9)
気に「かかる」ことばがある。まさに、「かかる/かける」ものに関してである。
「かかる/かける」ものは、本来どういうものであろうか?もともとは「ものについてぶらさがる(広辞苑)」であるらしい。日常的には、「引っかかる」のニュアンスで捉えられるようだ。「覆いかぶさる」という意味もあり、たとえば、「水をかける」などはその例である。「やかんをかける」「鍋をかける」などもやはりこの意味の例だろう。「病気にかかる」も類似のニュアンスである。
ところで、「曲がかかる/曲をかける」と言う。この「かかる/かける」は、意味的に、捉えるのが少し難しい。曲のいったい何を「かける」というのか?
これは、もともと「レコードをかける」からきていると思われる。で、一体、レコードをかけるというのはどういうことなのか?これには二つの可能性が考えられる。一つは、レコードをターンテーブルの上に「覆いかぶせるべく置く」というもの。もう一つは、レコード針の付いているカートリッジを円盤の上に「置く」というものである。動作としては前者、具体的に音声が鳴り始めることからすれば後者が考えられるが、どうなのであろうか?今の世の中、CD全盛期であり、CDも「かける」と言う。CDプレーヤーにはカートリッジはないが、「かける」ということからすれば、やはり「かける」は単に「置く」という意味なのか?あるいはLP時代からの伝統なのだろうか?現在のところ、よく分からないでいる。ちなみにラジオも「かかる/かける」と言う。ラジオは、明かに蓄音機より後に出てきたものであるから、「レコードをかける>曲をかける>音が鳴る」という道筋の類推なのであろう。「テレビをかける」はあまり言わないが、テレビは、音声とならんで映像がともなっているため、いわゆる「蓄音機」からの類推はもはや相当に薄いことが考えられる。また、世に現れた年代があまりにかけはなれていることも無視できない。
「電話をかける」ではどうか?電話はどうして「かける」のだろうか?広辞苑では、「関係がある」という項目もある。電話器からの物理的な形状からはおよそ想像できない。電報もかつては「かける」ものであったらしい。(例:「すぐ四方に電報をかけました。」宮沢賢治『シグナルとシグナレス』)だから、この場合は「関係をもつ」という意味なのだろう。
考えてみれば、迷惑も世話も「かける」ものである。人間関係は所詮「かけつ、かけられつ」なのだろうか?(1998/12/13)
最近のテレビコマーシャルの中からの、非常に耳障りな言い回しである。
広末涼子出演のもので、彼女がラジオのDJをやっているシチュエーションでの発話であ
る。投書のペンネーム「10000円になりたい漱石さん」をアナウンスした瞬間、漢字に自~
信がなくなり、携帯電話の機能を使って検索するという、例のあのCMだ。
「〜じゃなかったでしたっけ」はあまりにもぶっきらぼうだ。これをおかしく感じる理
由としては2つがあげられる。1つは「〜っけ」という仲間うちのくだけた言い方に、無
理矢理丁寧の「です」をくっつけようとした点、もう一つは過去と丁寧、否定を同時に表
現する場合の誤用である。
「〜っけ」はやはり、フォーマルな場、あるいは目上の人に対しては使うべきではない
。だからして上のようなおかしなことば遣いになってしまってのである。
過去と丁寧、否定を表現するには普通、「〜ませんでした」であり、ませ(丁寧)-ん~
(否定)-でし(丁寧)-た(過去) のような順に並ぶ。丁寧の助動詞は2度、過去の助~
動詞は1度、この順序に並ぶのが正統的な文法である。だから、表題の表現は、「「漱石
」ってさんずいじゃありませんでしたか?」というべきなのである。間違いの原因は、「
〜じゃなかったっけ」というくだけた言い方の知識を持ちながらこれの丁寧の言い換えが
できなかったことであろう。つまり、丁寧表現を「です(でした)」を最後に付けるとい
うことにまで単純化してしまったのである。さすがに「〜っけ」のあとには「です(でし
た)」は続けられないからせめてその直前に挿入したのだろうか?
この「〜っけ」をとってしまうと、「〜じゃなかったでした」となって、この言い方は
さすがにまだされない。「よかったです」「大きかったです」というものだから、最後に
「〜っけ」がついたことについ惑わされてしまったのだろう。(1999/6/17、1999/8/31一~
部改稿)
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